カウンセラー紹介
カウンセラー 小林 有希
基本理念
○ 高潔な気持ちを持ち真心を込めて真摯にとりくむ
○ 自分のできる限りの力を最大限に発揮し人を思い人のために立つ
○ ご縁や関わりのある方々の幸せと心の健康を守るよう尽力する
○ 不運やトラブルから学びを得て未来に活かす
□ 性格、好きなもの
楽しい事が好き、人が好き、海が好き、自然が好き、冗談や笑う事が好き、まじめ、逆境に強い、共感力がある、洞察力がある、分析力がある、アイデアを考えるのが好き、平和が好き 自分のルーツ与論島が好き(沖縄の近くの島)
□ 嫌いなもの
人の悪意、争い、犯罪、悲しみ、天災、負の連鎖
→実際これらのことに関わる時には向き合い取り組む気持ちは整っています。
生い立ち目次
1ー幼少期
2ー高1能力開花
3ー霊との出会いコミュニケーション
4ー心の葛藤、暗黒時代
5ー留学時代 心の再生、学びと決意
6ー願いの芽生え、探究
7ー社会人① 営業、塾講師 心理の探究と成功
8ー社会人② 大手企業 失敗と成長
9ー印象的な霊界からのヘルプカウンセリング2話
10ークレア由来
11ーご挨拶
12ー略歴
生い立ち
ー 幼少期 ー
幼少期から感受性が強く敏感に他人の気持ちが読めてしまう事によって、私はその感性が元になり色々な感情を受けてしまい、特に幼少期は人間関係においてあまり良い経験ができませんでした。そしてその当時は、人の内面ばかり見てしまったり、また何か得体のしれない気配を感じたり、あまりとどまりたくない場所があったり、なかなか不便な幼少期を送っていました。
その存在が何なのか薄々感づきながらも、それに関してどうしていいか分からなかった事、そしてそれに加えて人々の感情を受ける事に対してどう折り合いをつけて行けばいいのか幼さゆえ分からなかったため、静観をするスタイルを選びました。そうして自分の心を表に出さない事で、自分を守っていました。その当時のわたしの事を母は何を考えているか分からない変な子供だったとよく言っています。笑
親からしたら我ながら育てるのは大変だったでしょう。現在はすべてを母に打ち明けられたので合点がいったようです。
ー 高校1年能力開花 ー
高校1年生になると親戚の叔母の占いをきっかけに私もできるかな?と軽い気持ちで学校の友人に試しに霊視をやってみました。そうすると、そんな気持ちとはうらはらにどんどん頭に映像がみえてきて、確信をもって友人に 『もうすぐお付き合いする人が現れるよ』 と伝え、その上お付き合いする時期と、そのお相手の校舎の階まで的中させてしまいました。その後、他のクラスからもお友達が続々と鑑定を希望しにやってくるようになりました。 この頭に浮かぶ映像はなんだ!理性とは逆にこの心の確信はなんだ!。。。と最初は動揺が隠せませんでした。
なんで急に視てあげるよーとか自然に言っちゃったのか^^;(全くやったことないくせに笑) あのときのお友達がなんであんなに光って見えたのか。。。今ではしょっちゅうありますが理性が止めようとしてるのに確信して発してしまっている初めての体験でした。20年そのお友達と疎遠だったのですが、8年前に友達のつてで会い、しばらくしてこちらにその出来事を載せさせて頂くためにまた連絡し、承諾をとった時から頻繁に繋がるようになりました。やはりご縁というのはあるものだなと感じます。まだ鮮明にあの時のわたしにとっても彼女にとっても初めての不思議話は互いによく語り、また他のお友達にも紹介してくれます。そして一般的に理解し難いこの世界にいる私の活動を、一番目の体験者として心から応援してくれて、私も心から感謝しています。
でも急にあのとき思い立って声をかけなければ、彼女が光ってそこにいなければ全く自分の力に気が付かなかっただろうと思います。あと占いの親戚の叔母さんにも感謝ですね。
思えばあの頃から道が指し示されていたのかなと今は感じています。
ー 霊との出会いコミュニケーション ー
ですがその能力は20代前半に今でも仲良くさせてもらっている高校の親友の会社の先輩の結婚が破談になる事とその理由まで的中させてしまいました。(親友に悪い結果だから先輩には伝えないようにお願いしました。それを先輩が聞くと悪い方にひっぱられて悪い事が現実になる可能性が高くなるからです。そして親友は理解し言わない事を守ってくれました。できれば回避したかったのですが、なのにもかかわらず。。。)
人の不幸を目の当たりにしてからその能力が怖くなり鑑定をやめようかと思った事もありました。
その理由はもちろん、その世界に頻繁に触れていると見たくない未来も見えてしまうことと、また着々と霊を感じるだけではなく実際に見えるようになっていったことにあります。
本当に困りました。
今まで出会った霊は
1高校時代にデパートエレベーターにいる人
2半寝の私の顔をのぞくカナダ人→(その後隣のベットルームに入っていき、ベットに座り床の布団で寝る霊感のある友人の腹をふむ。私はリビングでソファーに寝ていましたが床だったら踏まれていたかも。。朝起きて私が見たところまでと彼女のその後起こった事を互いに話しました。)
3とびきり可愛い与論島の家テラスの飲み会に現れた12,3歳ぐらいの女の子→(地べたに座る弟のホッペにほっぺをピッタリくっつけている。わー私見ちゃったね?と言うと可愛く頷いてくれました!もちろん他は見えないので一人で喋る私に弟含めまわり引く)
4心霊スポットから連れてきてしまった沖縄じゃみ線ひきのおじさん→(聴いたことの無い民謡を私の脳裏に聴かせてくる。民謡に詳しい弟に私の鼻歌を聴かせると六調節という曲だということが判明、後に音源を聴いたところ脳裏で聴いたそのままでした。実際は聴いたことのない初めてのはずの曲を2度聴くという変な経験です笑)
後に史実を調べたところ、その心霊スポット(野原)は半世紀前はよく島民達が酒盛りをする広場でした。
そしてなんと!そこでよく弾かれていた曲が六調節だったそうです。
5与論島でかきねを揺らして驚かす人→(夜友達を驚かすために女子3名でかきねに隠れていたら霊から逆ドッキリをしかけられる笑 三人で逃げました。 二人は初めての心霊体験でした。 昼間確認すると垣根の後ろは人が立てない高い場所でした)
6箱根美術館に沿った坂道を登ったT字路を渡る下半身だけの霊→(主人の運転する車で光の反射で上が見えず人だと思って「危ない!」と助手席から手を出して止めました。止まってから下半身のみのウォーキングを確認。主人に霊でしたと謝罪。笑 主人はよく知っているのでそうかと運転を再開。紅葉シーズンでしたので箱根美術館のもみじでも見にきたのかな?)
等などまだありますが、ざっとカナダから日本とバラエティーに富んだ笑 霊の方々に出会いました。
※ちなみに普段は常に見えるのは人の形の残像とモヤモヤの煙と気配だけです。
※3番のとびきり可愛い与論島の12,3歳の女の子は次の日アンチ心霊の母に細かく出で立ち、年齢、顔、髪の特徴を伝えたところ冗談でしょと信じてもらえず、その3年後に母の友人が与論の家に連れてきた観光客二名の女性霊能力者により証明されました。同じ特徴を述べたそうで母は初めてぞっとしたそうです。(*^^*) その後二人の霊能力者により千葉にある霊能力者会に入るようスカウトされました。ありがたかったですがその力はその時は怖いものとしていたので入りませんでした。
ー 心の葛藤期、暗黒時代 ー
また、その間心の動きでは紆余曲折ありました。高校2、3年生くらいになるとその人を見てしまう力の制御と心のバランスに限界がきてしまい、思春期があいまって心の健康を失いました。人が怖くなり鬱とコミュニケーション障害に陥りました。さらに無気力と人間不信が加わり友人が離れていってしまいました。公共の場所でも人の心を見ないように下をむいて暮らしていました。それでも、一見して様子のおかしい私の事を個性として側にいてくれる友人たちはいて、その友人たちには感謝してもしきれません。現在も仲の良い長年30年来の友人たちです。「なんだか話してみると独特で面白かったから」、と、いたってナチュラルに言ってくれたことどんなに救われたか。その恩はこれからも忘れず、もし彼らに何かあったら全力で助けたいと恥ずかしいので口には出しませんが密かに思っています。
その頃は本当に辛く、人生離脱したいほどの言わば荒野の中をひとり歩くような気持ちで、相談できる人もおらずただただ孤独に耐える日々でした。(自分の現状をどう説明すればいいかわからないがゆえ)しかし今ではあの頃の心の病に陥った体験は同じような人々の気持ちを知るための必然だったのではと思えているのです。あの辛い時期を体験しなければここまで様々な悩みをかかえる方々の気持ちを手にとるように分からなかっただろうと感じます。
パズルの1ピースを苦々しいものとして隠して置かないのか、またはそれを間違ったところに置くのか、そして形をしっかり捉えて正しく置き、いつの日か作品を眺められる日がくるのか。 そしてその作品は最終的にどのような作品になるのか。。
人生は本当に面白い、自分に起こった事件や経験には全て意味がある。私はそう感じます。
ー 留学時代 心の再生、学びと決意 ー
高校を卒業した後、カナダに2年ほど留学する機会を得ることが出来ました。
高校のそんな心を引きずりながらのハードルの高すぎる留学。。。そんな心で母国を離れ、
文化の違い、生活の違い、言葉の壁に順応しなければいけないことによるストレスで帯状疱疹にかかったりと最初の気苦労はそれはそれは大変でした。しかし何とか少しずつ苦手だった積極性を無理やり出し、私はカナダの0才児だ!!と羞恥心を捨ててひらきなおってみました。笑 そうすると、なぜだか徐々にまわりの環境や人間関係が変わり、色々な国籍の素晴らしい友人達と出会い、たくさんの人と心を通わせることができたことで心から幸せを感じました。特にある台湾人の年上の友人から「あなたは感性が強すぎなんだ、優しくて充分魅力的な人なのだから自信をもって何も考えず、ただ自分から取りくみやってしまえばいいんだ。あなたなら間違った選択はしないだろう」と言われた言葉は衝撃的に心に残り今まで忘れた事はなかったです。
そしてその他の友人からも多くの温かい助けを受けた時、混沌としながら暮らしていた高校までの閉鎖的な気持ちは確実に雪解けし、光が見えたような感覚を得ました。
ただ他人の心に葛藤する人生ではなく、助けてくれた友人達のように自分自身がただ人を思い人のためになる人間になろうと心に誓いました。
その留学経験で学んだことは、
◇どのような環境に放り出されても自分を変えたいと思うのなら謙虚になりプライドや恥ずかしさを捨てて学びを楽しむこと。また、自分を変えるべく本気になった時、まわりの環境も必ず変わる。
◇心の潤いと健康をとりもどすのは、自分の変えたいという強い意志と他人(ひと)の真心ある言葉の力なのだということ。
◇国籍は違えど心の通うところは人間全て世界共通なのだということ
これらの大事な事に気づかせてくれたこの留学経験は私の一生の宝です。現在ある私のベースはこの時に築かれたと感じています。
帰国後私を見捨てないでいてくれた高校時代の友人達と2年ぶりに会った時、ゆきが明るく、パワーみなぎる別人になって帰ってきたと言ってくれました。嬉しかった。
ー 願いの芽生え、探究 ー
帰国後、前述したように友人の先輩の不幸の的中により力が怖くなったりと迷いもありましたが、
最終的に人のためにたつと決断した時から不思議と友人たちから相談を受ける機会が増えました。また皆終わるときまってスッキリした様子で感謝をしてくれていたので、これは天職なのかな?とその時点では、まだ曖昧に少しだけ感じていました。
これをはっきりさせるため、並行して元々興味があった心理学を学びはじめました。そしてその心理学と自分の幼少期に悩まされていた能力と心の葛藤の経験を合わせて、なんとか人の役にたてないかと更に考え形を探し始めました。
形を探すため相談や鑑定に積極的に取り組むようになりました。
ー 社会人① 営業、塾講師 心理の探究と成功 ー
プライベートをそうしながら大学卒業後、仕事は教育関係の教材を売る営業職に就きました。こちらは訪問販売の会社でかなりブラックな会社でした。入社当初はなかなか慣れずお客さんにものを売られる警戒から怒鳴られたり、水をかけられたり、免許とりたてで慣れない運転のため車同士の衝突事故をおこしたり、田んぼに車ごと落ちたり笑、上司に怒鳴られたり、、、と、相当泣きました笑。しかし後半は仕事にも運転にも慣れ、常に教材が子供のためになるというモチベーションを保ちながら、持ち前の生まれながらの特性を活かし人の心を視る力で約千人中全国4位の営業成績も上げることが出来ました。なかなか大変でしたが今は有り難い経験として心にあります。
またそこから教育にも興味をもち、英語の塾講師として成績が低く他の先生方が持て余していた生徒さんを担当し、心理学と力を用い、その生徒さんの特質を読み解き、その子に合ったアプローチで学習環境を整えて学年一位にもっていく事ができました。
他の生徒さんも心理学と力を合わせて何が一番近みちの教え方なのか、それぞれの生徒さんに何が一番響くのかを感じながら全力でやりました。生徒さん達の学生時代の人生に良い結果が残せた事は私にとっても大きな喜びであり、子供達と一つの目標を目指し達成した事は今思い返しても貴重な経験をさせて頂いたなと思います。
ー 社会人② 大手企業 失敗と成長 ー
さらに大手企業の研修施設にてコーディネーターとして仕事をし重役の方々とコミュニケーションをとったり他部所に依頼指示を出したりと研修所のマネージメントの仕事に取り組みました。しかしこの仕事はいままでのようには行かず自分にとってセンスのかけらもない苦手な仕事で苦労しました。
ただこの経験では苦手分野が少しできるようになった事で苦手意識がなくなり、また何よりそれまで触れたことのなかった大企業の世界を垣間見れたこと、そして日本最高峰の優れた方々のビジネスの進め方、能力、重役の方々のマインドの保ち方を知ることができて非常に良い勉強になりました。ここでは留学時代に自分を変えたいと思うのならプライドや恥ずかしさを捨てて学びを楽しむという精神を得た経験が自分を助けてくれました。
5年働かせて頂きましたが、やはり皆さん情報処理能力の速さや実行推進力、決断力に長けていて本当に皆さん素晴らしかったです。私はパソコンやITも苦手で物事をじっくりゆっくり深く感覚から捉えていこうとする本能アナログタイプなので笑、、、全くの真逆です。私の能力を活かせる場が少なく苦闘しました。皆さん頭のキレ具合とスピードがちがいました。でもあの場にいさせて頂き自分のできるところから取り組み苦手な分野のITアドバイザーをやらせて頂き、最初は嫌でしたが、結果として成長できました。ありがたい気持ちでいっぱいです。
失敗しても落ち込みすぎず切り替えて、その行いを冷静に次にただ活かす、そして修行の場として有り難く学ばせて頂く精神で進んで行くこと。常に苦手な事を挑戦しようとする意識をもち恥をかく覚悟でのぞむ事はその時苦しくとも、あとあと必ず血となり肉となり、結果よい経験となる。そしてそれまで培ってきた得意な事とそこで克服した事を合わせるとより深みのある自分、そしてより自分の可能性が広がるのだと心の芯から感じました。本当にありがとうございました。
現在まで常に心理学とひとの心を読む力で内に考え葛藤しながら仕事や問題に取り組んできたと感じます。
ー 印象的な霊界からのヘルプカウンセリング2話 ー
ある印象に残るカウンセリングの一つに、旦那様が3週間の余命宣告されて心が打ち砕かれたクライアント様の大変な案件でスピリチュアルの力を用いてクライアント様の話を伺っていた時、チャンネルがカチっと合ったようでクライアント様の亡くなられたお祖母様が心配されて守護霊として白髪着物のお姿で3メートル級に巨大化して出てきてくださった事がありました。胸から上の部分でお部屋の天井に頭が届くほどの大きさで流石にビックリしました。もし天井が高いとして立ったとしたら六メートルほど(今までの霊体験には無いはじめての現象だったので、後に調べると守るべき人がピンチの時に視る人にわかりやすいように守護霊様は巨大化するらしいです。笑 興味深いですね。)その時ただ現れてくださっただけで言葉は私の能力のレベルが低く分からなかったですが、まるで守ってる、大丈夫とでも言っているかのようでした。結果クライアント様の旦那様は他の大病院に転院されて新医療技術の効果もあり今も元気に過ごされて、しっかりお仕事されています。きっと守護霊様のお力も大きかったのではと思います。
また別のカウンセリングでは、やはりクライアント様が大変長くお辛い状況に陥っていて何とかして差し上げたい気合の入った案件だったのですが、亡くなられたお祖母様がクライアント様が幼少期のちょうどその頃の若いお姿(50、60代前半)で私の脳裏にお好きだった花柄の夏のワンピースの出で立ちでその頃の住んでいらしたお家とお庭と共に出てきてクライアント様を応援していること守っていらっしゃる事を無言ですが夏の日差しを浴びて色素の薄い茶色いパーマをあてた髪を輝かせながらニコニコ伝えてくださったりと、何かと助けて頂いております。
その守護霊様の助けは確実にクライアントの方々を勇気づけてくれます。
全てのクライアント様に現れてくださるわけではないのですが他にも色々なそのような現象があり、守護霊の方の容姿や情景もクライアントの方々に細かくお伝えしお写真を拝見したりして全て答え合わせさせて頂きました。上記のお話ももちろん全て合致している事が分かった時は、亡くなっても尚、子孫を守ろうとするお気持ちが伝わり、クライアント様も私もなんとも心が暖かくなりその深い愛情に心からの感銘をうけました。
ー クレア由来 ー
結婚、出産も含めて色々な経験に真摯に取り組み、様々な難しい案件にもクライアント様にご満足いただき、心理学の知識と確固たる自信を蓄えた後、改めてこの世界に本腰を入れるべく認定心理カウンセラーのスクールに通い、後にメンタル心理カウンセラーの上級にあたる上級心理カウンセラーの資格を取得しました。
また帝王学としても使われてきた算命学と出会い習得して、この今までの人生で得てきたことを総合してカウンセリング、スピリチュアル、算命学の融合という自分独自の形が出来上がり、現在まで温めてきた形が明確になった事で、幅広い層の方々の多種多様なお悩みをしっかりと深い部分まで浸透させるカウンセリングが可能になりました。
それによりクライアント様方から迷いが晴れてスッキリしたと多くの有り難いお言葉を頂いた事で、
名前のクレア(フランス語) 英語ではクリア 澄みきった、晴れやかな、物事の障壁を超える
立ちはだかった障壁を超えて、その先にある世界が晴れやかで澄み切った情景にかわっていく
そのようなイメージから付けさせて頂きました。
ー ご挨拶 ー
学生時代から今まで友人知人親類等から様々な案件をご相談いただき、トラウマの解消、男性不信の解消、人間関係の改善、結婚相談、仕事の悩み等々を解決して参りました。
今までの経験と学んできた知識、そして生まれもった力を活用し、多くの方々の幸せのお手伝いが出来ることを非力ながら使命と考え、皆様のそれぞれ持つ宝を更に彩り豊かなものに大切に変えさせて頂くような、そんな感覚でカウンセリングに尽力して参りたい。私はそう常に思っております。
ホームページを見て自ら来てくださった方々や紹介で繋がって来てくださった方々を全ての大切なご縁とし全身全霊取り組ませて頂く事にのみ集中させて頂きます。
また来てくださったクライアント様はなるべく早く卒業して頂いてクレアなくとも彩り豊かな日常生活を自らの足で力強く歩んで頂く事が私にとっての最良の目標と幸せです。
claire-クレア-心理カウンセリング・スピリチュアル算命学ルームをどうぞ宜しくお願いいたします。
略歴
東京都出身
高校卒業後 カナダバンクーバー留学 ウエストタウンカレッジ 英語教育学部
18歳~
帰国後 玉川大学入学 必修科目心理学を学びそれをきっかけに勉強を始める
21歳~
大学卒業後 某出版社 教材営業職 全国4位の営業成績
(成績をあげるとやりたい部所に行けるとの事で挑みましたが、希望通らず離職)
25歳~
武蔵野進学セミナー塾講師 (英語担当)
26歳~29歳
三菱商事株式会社セミナーハウス フォーリッジ(研修コーディネーター)
29歳~33歳
結婚 非常勤英語塾講師
33歳~
日本カウンセラー学会認定カウンセラー学校修了
34歳~35歳
上級心理カウンセラー取得
36歳
正式にカウンセラー業開始
36歳~現在46歳